第2次別姓訴訟@広島高裁 初回期日で意見陳述しました

Pocket

意見陳述書

夫と私は1983年に結婚し、いったんは夫の姓を夫婦の姓として婚姻届を出し、私が改姓しました。しばらくは改姓前の名前を通称使用しつつ公的には改姓した戸籍名で生活しましたが、使い分けに苦慮し、結婚後7年でペーパー離婚し自分の名前を取り戻した経緯は地裁に提出した陳述書(甲96の2)の通りです。

通称は本名ではないし、事実婚は法律婚ではありません。結婚しようとする夫婦のどちらもが姓名を失わずいようとすると、一方が本名ではない通称を使うか、二人が法律婚をせず事実婚でいるかしか方法がないのはおかしいと思ってきました

「私の名前」、というとき、それはいつでもどこでも、何の注釈や追加の書類も必要なく名乗れる名前が、私の名前です。それは、本名、といわれるものであるはずです。

2015年の最高裁判決では、夫婦の呼称を一つに定める事には合理性があると示されていますが、一方、全ての夫婦に呼称を一つに定める事を要求し別氏にするという選択肢を設けないことの理由は、通称使用までは許さないものでないから、ということのみで積極的な理由は示されていません。今回の広島地裁の判決でも、2015年最高裁判決後も事情変更がいろいろ続いている事は認めるが、旧姓併記が認められ理解が広がることにより「氏を改める場合の不利益が拡大しているとまでは認められない。」とそのまま追随しています。

しかし、通称使用は旧姓併記ができるようになった今も、使えるかどうかは相手方次第で、限定的です。いろいろな場面で戸籍名が要求され、通称ではそれに対応できません。大臣も裁判官も通称で仕事ができるようになっていますが、通称使用を禁止する職場は多く、たとえ職場で通称が使えても生活する上で多くの窓口で戸籍姓を要求されるのです。

外務省や総務省のHPにも「かっこ内の旧姓は使えるところだけで使えます、相手が認めないこともあります」といった記述になっています。わたしの名前、どちらを使えばいいですか?どちらだったら認めてもらえますか?と、行く先々で確認がいる、それが通称です。

また、1996年すでに、通称で名乗るという方法は「個人の人格的利益を法律上保護するという夫婦別氏制の理念が後退する」と、法制審答申では採用することを退けられていた方法です。にもかかわらず、それから24年も経ったいまも通称使用をもって、改姓に伴う不利益は一定程度緩和されている、あるいは不利益が更に拡大されているとは言えないと、夫婦別氏制の理念が後退するような方法を示すことをもって法改正をしないことを擁護するとはどういうことか意味不明といわざるを得ません。

名前を失うことに関して、例えば夫婦の二人共が婚姻に際して名前を失い全く新しい姓を二人で選び二人で新しい家族に帰属するというようなものであれば、それは二人に平等であると言えるかもしれません。しかし、一方の姓を選ぶという方法では、2人の内一人は生まれ育ったなじみの名前とそれに付随した生まれ育った家族への帰属感をそのまま維持しつつ婚姻後もそのままの生活を送ることができ、一方名前を無くさなければいけないほうのもう一人は、生まれ育ったなじみ深く、社会の中で認知されてきた、それまでの人生に付随した様々な経験と共にあった名前を、生まれ育った家族への帰属感とともに剥奪され、多くの姓変更手続を行い、全く新しい名前を使わなければいけないのです。不本意な改姓を余儀なくされた方が言われた「私は婚姻届を出したいのであって、死亡届を出したいわけではない。」という言葉のように、婚姻届を出す時点で、その人の今までの人生に繋がってきた名前/姓が取り消し線で消され、姓名というそれまでの業績への検索ツールであるタグが外され社会的/研究者的な死も余儀なくされるのです。名前を保持できる夫婦の内の一人と、同姓強制によって姓を失わざるを得ないもう一方とのその圧倒的な不平等が過小評価されています。この現実を理解していただきたいと思います。

法制審の議論の時点、1995年に出された「婚姻制度等の見直し審議に関する中間報告及び報告の説明」では、「選択的夫婦別氏制を導入するべきかという問題については、導入すべきであるとする意見が大半を占め、消極的意見は極少数にとどまっている。」と書かれています。その時引用された1994年の世論調査では「希望する場合には夫婦が別姓を名乗ることができるように法律を変えた方がいい」という意見に賛成したのは27.4%でした。26年前、世論調査で賛成意見が27.4%だった時点で、導入すべきであるとする意見が大半を占めていたとする法制審議会の答申に対して、世論調査での賛成が42.5%と半数近くなった今、「導入すべき」という意見が後退していいのでしょうか。まだ、事情の変化は不十分なのでしょうか。同姓強制による改姓の可能性がより大きい結婚適齢期の女性、30代女性では54.1%、40代女性では52.1%と賛成が過半数を超えています。少子化を憂いながら結婚適齢の人たちにこのように支持されている法改正に背を向けていていいのでしょうか。法改正もせずに放置し続けて問題ないのでしょうか。

今回広島地裁判決で「原告の主張する法律婚の効果を享受することができないことの不利益(差別的取り扱い)は、法律婚の有無によって生じているのであって、原告の主張する『信条』によって生じているのではない。」とありました。ここで言われていることの意味を理解できないのは私の日本語能力のなさによるのでしょうか。

あなたが死罪にされるのは、踏み絵を踏まないからであって、あなたの信条、キリスト教を信仰すること、によって生じているのではない、というなら江戸時代日本でキリシタン弾圧はなかったことになります。

婚姻届が受理されない法律の合憲性自体を問うているのに、婚姻届が受理されないのは、法律がそう決めているからで法律は全ての日本国民に適用されるから平等だ、というのでは答えになっていません。

キリスト教でもイスラム教でも仏教でも、どのような信仰を持つことも自由である日本で、キリスト教を信仰していれば結婚はできません、などとは言われません。別姓を希望することも、同姓を希望することも同じように信念として持つことができるならば、名前を失わないことを希望すれば結婚できません、と言われるのはおかしい、と思うのです。

そして、繰り返しますが、同姓であることに一定の合理性があるというだけで、結婚にあたって別姓であることが排除されるのはおかしいと思うのです。別姓を排除するのであれば、別姓を許さず同姓のみしか認めないことの合理性が必要だと思うのです。

私の名前。いつでもどこでも、何の注釈や追加の書類も必要なく名乗れる、私の名前を、改姓を強要され奪われることなく結婚後も使い続けられるあたりまえの権利が、別氏という選択肢を設けないことによって、共に生きることを誓う対のうち一人には保証され、一人からは奪われていることを問題ないとするならその合理的な理由を示してください。

以  上