第10回個個からカフェ 報告 

2020年6月28日

場所 ひろしま ハチドリ舎

私が民族名を名乗る理由

~「通称名」と「本名」の間で生きる、ある在日朝鮮人の生き方~

  お話し 権 鉉基(こん ひょんぎ)さん

●お話を聞いて

「日本にいつ来られたんですか。日本語お上手ですね。」と権さんに声をかけた日本人 私であったかも…

 日韓併合も創氏改名も近代の歴史を学ぶ中で、一応事柄として知っているだけで きちんと教えられていない。さらに他のアジアの国が外国からさまざまに侵略を受けたのに対し日本は敗戦下でもその難を逃れ、その苦難を想像する力もない。教育の責任は大きいし、それが故意だった可能性も大きい。でもだからといって自ら知ろうと思えばできたはず、一番問題なのは、他者を分かろうとしない排他的な閉鎖的なものの見方考え方かもしれない。権さんの言われるようにもっとコミュニケーションをとらなければわかりあえない。

 権さん自身が、朝鮮人であることを知られることを恐れて生きる同世代の友人たちと知り合い、自らのルーツや朝鮮の歴史を学んだことで、自分と向き合い、生き方を模索し、その結果 民族名を名乗る生き方を選ばれたことは、とても共感できた。

私たちが今訴えている選択的夫婦別姓も同じ。自分が生まれてからずっと使ってきた名前を結婚してもそのまま使って生きていきたいと思うのは、人間としてとても自然なことだと思う。だから、現在その選択の自由は世界の常識となっているのだ。わがままなどではない、自分らしく生きられる生き方を選ばせてほしいだけなのである。(二木)               

●参加者アンケートより

・最高でした!(KICK)

・知らないことばかりで、名前についても歴史を知らないといけないということを思いました。教育の力のすばらしさ、およびこわさ(皇国臣民)を思いました。

・貴重なお話しありがとうございました。私個人的に韓国文化が大好きで、私の友人も在日の方がいます。どこまで通名が通るのか興味があります。

●お話し 権 鉉基(こん ひょんぎ)さん

〇はじめに

現在 朝鮮学校の「無償化裁判を支援する会」の事務局長として、第1次別姓訴訟開始からと同様7年ほどたたかっている。なぜ無償化できないのか、ちゃんとした答えはもらえない。10月16日判決予定。

個個からカフェも 不安なく違っていられる社会への一歩ということで、私も朝鮮人らしく生きられる社会を目指して活動している。          

戦後川沿いにあったバラックの行政による立ち退きにおける朝鮮人についてなども調べている。

音楽が好きで基町ショッピングセンターの一角でDJとしても活動している

〇自己紹介

 「広島生まれで、総連系で、特別永住者で

         朝鮮学校を卒業した 朝鮮籍の 在日朝鮮人3世です。」

これだけのことは言わなければ自分のことを規定できない。

・特別永住者は旧植民地出身者の子孫に与えられた在留資格を持っている人。          持っていない人の多くは1980年代以来渡日したニューカマーと言われる人。                       

・朝鮮学校に行った人は全体の2割くらい。

・韓国籍は1965年にでき、それ以前に日本にいたら朝鮮籍、帰化して日本籍の人もいる。  

〇日韓をめぐる歴史

・日韓併合1910  

 国籍で包摂し 戸籍では排除 

・朝鮮戸籍令1923

   日本人と区別、転籍できない

  朝鮮半島の家族制度    

   姓不変   結婚しても姓は変わらない

          同姓不婚  同じ本貫(地域)の人とは結婚できない

          異姓不養  姓が違う者を養子にできない

・創氏改名1939  男性血統で決める 創氏の強制  姓は140くらいしかない

            「どこどこの権さん」で だいたい特定できる      

   皇国臣民化の結果としての創氏改名。ねらいは朝鮮本来の家族制度の破壊、分断統治

・「内鮮一体随想録」1941  香山光郎(朝鮮名 李光洙)

    朝鮮人の国民的地位を上げるには、天皇のために陛下の臣民になることだ

・植民地支配からの解放 1945 8.15 

   240万人いた朝鮮人の140万人が帰国、70~80万人が日本に残った。

・「外国人登録令」1947 5.2大日本帝国憲法下で公布された最後(5.3日本国憲法施行)の勅令   

国籍は日本 戸籍は外国にある

日本名でも朝鮮名を併用して生活 外国人とみなし保護しなくてよいとした。【あくどい!】

   戦後も根強く残った朝鮮人蔑視 日本人名を名乗らざるをえない人も

 在日2世のアイデンティティの模索 祖国指向、定住指向

・朝鮮半島分裂1948

  外国人として生きていくのか 困難と苦悩                      通名(日本名)で自分を守らざるをえない 日立就職差別事件、金喜老事件

・1980年代 国際化の時代 1982政府 難民法を受け入れ、公営住宅の国籍撤廃など

・1990年代 もう1度バッククラッシュ 核疑惑 パチンコ疑惑、チマチョゴリ切り裂き事件など 

〇権さんのストーリー

1940年代初め 祖父が植民地支配の朝鮮半島から広島の大朝に渡日 父母とも朝鮮学校に行った。権さん本人も幼稚園年少から高校まで朝鮮学校に通い、同級生23人 親類も多く繋がりも強かった 民族名を名乗るのも疑問をもたなかった 思春期の中 商店での会員カードを作った時に日本名を使ったこともあった。

高校の時 日本の学校に通う学生会の朝鮮人との出会いで、彼・彼女が本名を知られるのを恐れて日本名を使っているのを知り、「自分は何者」と考えるようになった。

高校卒業後、大阪に出てより主体的に朝鮮半島の歴史を知り、歴史として綿々と続いている中に家族がいて自分がいると思うようになった。それ以降、日本名を名乗ることはなくなった。

    1970-80年代頃 日本の学校で本名宣言の取り組みがあった

帰広後、朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)職員としての生活

 コミュニティとしての重要性・安心感と閉鎖性,在日同士での結婚など

     2019 退職   パートナーが日本人であったため   【理不尽ではあるが】

◎私が民族名を名乗る理由

・アイデンティティを失わないため

・自らの歴史性

・ルーツを大事にしてきた家族への思い

・同化を強いる社会への抵抗

「日本にいつ来られたんですか 日本語お上手ですね」に【うーん そろそろわかってほしい。】と思う。 

〇質問に答えて

 ・個人証明となる免許証では、まず民族名、希望する人は日本名も( )で併記される 母親は父親と同じ通称名を使っている。結婚する場合 国民登録されていない韓国籍と朝鮮籍の人は、現在結婚をしていない状況を自分で申述書に書いて提出し届ける。在日朝鮮人の男性と日本人女性が結婚すると、新しく日本人女性が戸主の戸籍が作られる。子どもは日本国籍となるが22歳で自分でどちらの国籍にするか選択できる。 

・帰化する場合 1970年代は日本人らしい名前にと窓口指導があった 孫正義のように最近は敢えてらしくない名前を付ける人もいる。申請は提出書類が多く 1回で認可されることは難しい。

・本名宣言は 成功事例もあれば失敗事例もある。本名を名乗らせることを目的としないで、それで何を変えるのかが大切、フォローがいると思う。

 ・本名・民族名、日本名・通名、どれが正解ということは難しい。本人の意識によるのではないかと思うが

   民族名 日本名というほうがより分かりやすいのではないか

 ・全体的には差別的な雰囲気は残っている。それを可視化することは問題ないと思う。根本的にあまり気を使わなくてもよいのではと思う、コミュニケーションをとらないことでお互い分かりあえない方が問題

 ・帰化はなるべくしてほしくないが、その人の帰化という選択も認めたいし受け入れたい。2000年代に入って(拉致問題発覚後)帰化は年間1万人を超えたが、この1,2年は少しずつ減っている        ・2008年 韓国は戸籍制度がなくなったが、まだまだ家父長制度の国である。戸籍という制度自体の問題点を問うていかなければいけないと思う。同じころ日本で特別永住者にも住民票をということで永住者カードができた。(今政府が100億円くらいかけて旧姓併記のシステムを作るということに対して)そのときすでに民族名・通名併記の住民票のシステムはできていると思う