第2次別姓訴訟@広島高裁 初回期日で意見陳述しました

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意見陳述書

夫と私は1983年に結婚し、いったんは夫の姓を夫婦の姓として婚姻届を出し、私が改姓しました。しばらくは改姓前の名前を通称使用しつつ公的には改姓した戸籍名で生活しましたが、使い分けに苦慮し、結婚後7年でペーパー離婚し自分の名前を取り戻した経緯は地裁に提出した陳述書(甲96の2)の通りです。

通称は本名ではないし、事実婚は法律婚ではありません。結婚しようとする夫婦のどちらもが姓名を失わずいようとすると、一方が本名ではない通称を使うか、二人が法律婚をせず事実婚でいるかしか方法がないのはおかしいと思ってきました

「私の名前」、というとき、それはいつでもどこでも、何の注釈や追加の書類も必要なく名乗れる名前が、私の名前です。それは、本名、といわれるものであるはずです。

2015年の最高裁判決では、夫婦の呼称を一つに定める事には合理性があると示されていますが、一方、全ての夫婦に呼称を一つに定める事を要求し別氏にするという選択肢を設けないことの理由は、通称使用までは許さないものでないから、ということのみで積極的な理由は示されていません。今回の広島地裁の判決でも、2015年最高裁判決後も事情変更がいろいろ続いている事は認めるが、旧姓併記が認められ理解が広がることにより「氏を改める場合の不利益が拡大しているとまでは認められない。」とそのまま追随しています。

しかし、通称使用は旧姓併記ができるようになった今も、使えるかどうかは相手方次第で、限定的です。いろいろな場面で戸籍名が要求され、通称ではそれに対応できません。大臣も裁判官も通称で仕事ができるようになっていますが、通称使用を禁止する職場は多く、たとえ職場で通称が使えても生活する上で多くの窓口で戸籍姓を要求されるのです。

外務省や総務省のHPにも「かっこ内の旧姓は使えるところだけで使えます、相手が認めないこともあります」といった記述になっています。わたしの名前、どちらを使えばいいですか?どちらだったら認めてもらえますか?と、行く先々で確認がいる、それが通称です。

また、1996年すでに、通称で名乗るという方法は「個人の人格的利益を法律上保護するという夫婦別氏制の理念が後退する」と、法制審答申では採用することを退けられていた方法です。にもかかわらず、それから24年も経ったいまも通称使用をもって、改姓に伴う不利益は一定程度緩和されている、あるいは不利益が更に拡大されているとは言えないと、夫婦別氏制の理念が後退するような方法を示すことをもって法改正をしないことを擁護するとはどういうことか意味不明といわざるを得ません。

名前を失うことに関して、例えば夫婦の二人共が婚姻に際して名前を失い全く新しい姓を二人で選び二人で新しい家族に帰属するというようなものであれば、それは二人に平等であると言えるかもしれません。しかし、一方の姓を選ぶという方法では、2人の内一人は生まれ育ったなじみの名前とそれに付随した生まれ育った家族への帰属感をそのまま維持しつつ婚姻後もそのままの生活を送ることができ、一方名前を無くさなければいけないほうのもう一人は、生まれ育ったなじみ深く、社会の中で認知されてきた、それまでの人生に付随した様々な経験と共にあった名前を、生まれ育った家族への帰属感とともに剥奪され、多くの姓変更手続を行い、全く新しい名前を使わなければいけないのです。不本意な改姓を余儀なくされた方が言われた「私は婚姻届を出したいのであって、死亡届を出したいわけではない。」という言葉のように、婚姻届を出す時点で、その人の今までの人生に繋がってきた名前/姓が取り消し線で消され、姓名というそれまでの業績への検索ツールであるタグが外され社会的/研究者的な死も余儀なくされるのです。名前を保持できる夫婦の内の一人と、同姓強制によって姓を失わざるを得ないもう一方とのその圧倒的な不平等が過小評価されています。この現実を理解していただきたいと思います。

法制審の議論の時点、1995年に出された「婚姻制度等の見直し審議に関する中間報告及び報告の説明」では、「選択的夫婦別氏制を導入するべきかという問題については、導入すべきであるとする意見が大半を占め、消極的意見は極少数にとどまっている。」と書かれています。その時引用された1994年の世論調査では「希望する場合には夫婦が別姓を名乗ることができるように法律を変えた方がいい」という意見に賛成したのは27.4%でした。26年前、世論調査で賛成意見が27.4%だった時点で、導入すべきであるとする意見が大半を占めていたとする法制審議会の答申に対して、世論調査での賛成が42.5%と半数近くなった今、「導入すべき」という意見が後退していいのでしょうか。まだ、事情の変化は不十分なのでしょうか。同姓強制による改姓の可能性がより大きい結婚適齢期の女性、30代女性では54.1%、40代女性では52.1%と賛成が過半数を超えています。少子化を憂いながら結婚適齢の人たちにこのように支持されている法改正に背を向けていていいのでしょうか。法改正もせずに放置し続けて問題ないのでしょうか。

今回広島地裁判決で「原告の主張する法律婚の効果を享受することができないことの不利益(差別的取り扱い)は、法律婚の有無によって生じているのであって、原告の主張する『信条』によって生じているのではない。」とありました。ここで言われていることの意味を理解できないのは私の日本語能力のなさによるのでしょうか。

あなたが死罪にされるのは、踏み絵を踏まないからであって、あなたの信条、キリスト教を信仰すること、によって生じているのではない、というなら江戸時代日本でキリシタン弾圧はなかったことになります。

婚姻届が受理されない法律の合憲性自体を問うているのに、婚姻届が受理されないのは、法律がそう決めているからで法律は全ての日本国民に適用されるから平等だ、というのでは答えになっていません。

キリスト教でもイスラム教でも仏教でも、どのような信仰を持つことも自由である日本で、キリスト教を信仰していれば結婚はできません、などとは言われません。別姓を希望することも、同姓を希望することも同じように信念として持つことができるならば、名前を失わないことを希望すれば結婚できません、と言われるのはおかしい、と思うのです。

そして、繰り返しますが、同姓であることに一定の合理性があるというだけで、結婚にあたって別姓であることが排除されるのはおかしいと思うのです。別姓を排除するのであれば、別姓を許さず同姓のみしか認めないことの合理性が必要だと思うのです。

私の名前。いつでもどこでも、何の注釈や追加の書類も必要なく名乗れる、私の名前を、改姓を強要され奪われることなく結婚後も使い続けられるあたりまえの権利が、別氏という選択肢を設けないことによって、共に生きることを誓う対のうち一人には保証され、一人からは奪われていることを問題ないとするならその合理的な理由を示してください。

以  上

こどもの日に考えること

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これが日本だったら、「男の子はピンクのマスクをつけない方がいいよ」と言うのだろうか。

ピンクのマスクをつけたらからかわれるのじゃないかと心配する男の子に「男子か女子かに関わらず、ピンクは素敵な色」と蔡英文総統や多くの閣僚がピンクのマスクをつけるパフォーマンスで応じた台湾政府

選択的夫婦別姓への法改正は、法制審答申が出て24年も実現しないでいるが、首相も法相も後ろ向きの答弁を繰り返している。今年2月の衆院予算委員会でも「選択的夫婦別姓のどこが納得できないのか」という議員の質問に、「国民の意見は分かれており、夫婦の氏が異なることで子への悪影響が生じることを懸念する人も相当数いる」と答弁した安倍首相

確かにH29年の内閣府世論調査で「子どもにとって好ましくない影響があると思う」と答えた者の割合は62.6%と過半数だった。答弁に嘘はない。

しかし現在、国際結婚をしている法律婚夫婦、選択的夫婦別姓の法制化を待って婚姻届を出さずにいる事実婚の夫婦、一方が改姓し結婚した後改姓した側が通称使用している法律婚夫婦、いろんな夫婦が別姓で生活している。「こどもにとって好ましくない影響があると思う」という人が多いのなら、その根拠を問い、誤解があるならそれを無くし、別姓が好ましくないと思われないように持っていくことで、こどもが「好ましくない影響を受ける」と思われないようにすることを目指すべきでないのだろうか。

首相が先頭に立って「好ましくない影響がある」と考える人が相当数いることを認めることで、「好ましくない」と考えること自体を容認してはいないだろうか。

大人がすべきことは、自分が差別する側に立たないことを見せることで、こどもにも差別はいけない、と態度で教えることではないだろうか。

この国では真逆だ。こどもへの影響、というよく分からない根拠のない思い込みの存在を認めることで、選択的夫婦別姓に反論しようとしている。こどもを人質にしないでほしい。現在でも法律に則った別姓もあるのに、そうした家庭のこども達は「好ましくない影響下」にいることを首相は放置するのだろうか。

わたしは、ピンクのマスクをして閣僚みんなが並んでみせてくれるような国でこどもを育てたかったと思う。

内閣府の世論調査、設問がなんか変なんですけど

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内閣府の夫婦別姓に関する世論調査、設問がなんか変なんですけど、変だ変だって言ってるの私だけ??

2020年2月4日安倍首相は衆議院予算委員会での立憲民主党の大河原雅子議員の質問への答弁(10:15 大河原雅子立憲民主党議員質問)で世論調査結果を根拠に、改めて法改正に後ろ向きな姿勢を示した。

言及された内閣府の調査、質問文が一部紛らわしくて、これが言及される度にもやもやする。

どこが紛らわしいかというと、

(ア)反対、(イ)賛成、分からない、の他「(ウ)夫婦が婚姻前の名字を名乗ることを希望していても、夫婦は必ず同じ名字を名乗るべきだが、婚姻によって名字を改めた人が婚姻前の名字を通称としてどこでも使えるように法律を改めることについては、かまわない」の項目が賛否に分けがたいのだ。

首相は「夫婦は同じ名字を名乗るべき」は過半数(法改正反対29.3%とウ24.4%を合計すると53.7%)なので法改正には慎重、と言われていたが、「法律を改めることは、かまわない」をみれば66.9%になる。現在進められている旧姓併記は「どこでも使える通称」でなく、これをもっても(ウ)が法改正をせず現状維持とする根拠にはなりがたい。改正法案を選ぶ質問のようでもあり、それなら(ウ)の割合を他の答えと合計してはいけない。法改正可否を語るときこうした紛らわしい合算は根拠とはできまい。

この紛らわしい数字の使い方は首相だけではなく、以前法相も記者会見でこのような発言をしていたので、みんなで共有している世論調査解釈法なのだろう。

5年毎の調査ということなのでもし次回24年に実施されるのであれば、賛否を問うのと改正案を選ぶ質問を別立てにするなり、項目の見直しを要するのではないだろうか。

注:

内閣は、1996年から約5年ごとに「家族の法制に関する世論調査」を実施し、これまで、1996年、2001年、2006年、2012年、2017年に選択的夫婦別姓制度についての世論調査を行っています。

この調査で、選択的夫婦別氏制の導入に対する考え方を詳しく聞いているのだけれど、その(9)選択的夫婦別氏制度、のなかのQ10 が選択的夫婦別氏制度についての質問。質問の文言は、

10  現在は、夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗らなければならないことになっていますが、「現行制度と同じように夫婦が同じ名字(姓)を名乗ることのほか、夫婦が希望する場合には、同じ名字(姓)ではなく、それぞれの婚姻前の名字(姓)を名乗ることができるように法律を改めた方がよい。」という意見があります。このような意見について、あなたはどのように思いますか。次の中から1つだけお答えください。

(ア)婚姻をする以上、夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗るべきであり、現在の法律を改める必要はない(29.3%)

(イ)夫婦が婚姻前の名字(姓)を名乗ることを希望している場合には、夫婦がそれぞれ婚姻前の名字(姓)を名乗ることができるように法律を改めてもかまわない(42.5%)

(ウ)夫婦が婚姻前の名字(姓)を名乗ることを希望していても、夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗るべきだが、婚姻によって名字(姓)を改めた人が婚姻前の名字(姓)を通称としてどこでも使えるように法律を改めることについては、かまわない(24.4%)

(エ)わからない

(質問の後のかっこ内は回答者の割合)

上のように変なところがあるので、この選択的夫婦別姓に反対か賛成かを読むとき、以下の評価が成り立つ。

1、選択的夫婦別姓に(あ:い)   反対 29.3 賛成 42.5

2、法改正に賛成(あ:い+う)   反対 29.3 賛成 66.9

3,別姓使用に(あ:い+う)    反対 29.3 賛成 66.9

4,戸籍別姓可(あ+う:い)    反対 53.7 賛成 42.3

このようにどうにでも読めるような項目、おかしくないですか。

この私の世論調査の読み方間違っていますか。

別姓 希望 さま

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詳細なご検討ありがとうございました。私の表現が不正確だったかもと思います。ご指摘に感謝してこれからは正確な表現を心がけようと思っております。・・・ですが、毎日家族から「何をふわふわといい加減なこと言ってんの⁉」と指摘されるような人間である事は一朝一夕では変わることはなさそうで、努力目標にする程度で許してください。

別姓 希望さんのおっしゃること、認識には基本的に誤りはないと思います。

なのですが、「よって、IZUMIさんの『ニーズが多様化したから、訴訟の争点が多様化した』とは何を指すのでしょうか?」に対しては、最初に言ったのは「24年前と状況が変わっている。」で、その変わったこと「必要性の多様化」。で、「社会的状況の著しい変化を背景として、3以下の理由(名前はアイデンティティ、社会生活での姓の一貫性の必要以外の理由)の重みが増し、多様化があったと見える」だったのでは・・・。「IZUMIさんの『ニーズが多様化したから、訴訟の争点が多様化した』」という表現では言っていないような気がするのですが。もしどこかでそう言っていれば、それは私としてもちょっと違うような気がするので撤回します。変化した「必要性の多様化」は、更に言い換えれば、

「元々あった多様なニーズが表面化して、訴訟の争点の多様化と共に選択的夫婦別姓を求める多様な声の『見える化』に繋がっている。」ということですね。項目としてのニーズの種類は以前から同じようにあったけれど、それぞれの声の大きさ多さが変わってきているということです。

鶏が先か卵が先か。もっと声を上げていいよ、と#MeeTooのように別姓に関しても背中を押す声も大きくなって声を上げやすくなったからか、多様なニーズの声が増えたからか(ニーズの一部は増加しているとはっきりしているものもあり、一部は推測のみですが)あちこちからいろんな声が上がっています。

この、声の上げやすさ、いろんな状況の人たちの存在の増加、について、以下「法制審答申後24年、変わったことは・・・」に重複しますが、

・めんどいからシステムを変えろ、みたいな言い方は以前はしにくかったのではないかと・・・これは単純に思っています。今は面倒さが半端なくなっているという変化も、面倒なシステムは面倒さを減らすように変更できる物はすればいいとなってきているというのもあるかも、とふわふわした感想。

・たぶん、国際結婚の増加は著しくて身の回りに選択的夫婦別姓の国際結婚カップルがいくらでもいるようになって彼/彼女らのすでに選択的夫婦別姓である姿を身近に見るようになりました。再婚時のこどもの姓の話しはあったかもしれませんが、少なかっただろうし、離再婚への偏見もあり、以前は声さえ上げづらい状況はありました。離再婚数は増えているので、そう特別なことでなくなったと共に出しやすくなっているので、子連れ離再婚で夫婦別姓を望む人の数の変化について数の根拠はありませんが、増えているのではないかと推察します。海外で働く事も、そう特別なことではなくなっています。確認訴訟のようなケース(海外で働く日本人同士が海外で別姓結婚)も普通にあり得る事になりました。

・実家の姓を名乗りたい層、については数の増加があるかどうかは根拠はありません。が、たぶん少子化に伴ってニーズは切実になっているのでは?残したい「姓」の夫婦が夫婦のこどもでない男の子を養子縁組する形や、娘が妻氏婚といった今まで行われてきた方法が少子化の前には無効になってきている可能性はあり、選択的夫婦別姓でよりシンプルに両方の姓を繋ぐことができるので希望者数が増えているかもしれません。

そして、「声を出しやすくなっている」のもありそうです。法制審答申にいたる頃には、戦後日本国憲法制定、男女平等、女性差別撤廃条約制定批准、と民主化や女性差別撤廃の流れが強くあったなかで語られることが多かった夫婦別姓、「姓」を残すという声は出しずらかったと推測されます。「姓」を残す、ということが旧憲法と共に廃止された「家制度」と重なる部分があるので大きな声になっていなかったように思えるのです。しかし、保守右派の政権という政治状況の背景もあり、姓を残したい声を出しやすくなっているかもしれないし、夫婦別姓の必要を理解する層を拡げる効果もあるかもしれない。気をつけたいのは、政治状況はただ背景であって、夫婦の姓がどちらも続く事を希望する人は政治的信条からそう希望しているとレッテルを貼ることは、名前を変えたくないと言っている人が政治的信条からそう言っているとレッテルを貼ることと同じように無意味なことだし、実際違っている、ということだと思います。

128日の別姓 希望さんのtweet、「ついでにいえば、跡取り娘でもない私が、姉妹の会

に期待するのは『あの会なら、与野党に合理的決断を迫れるバランスを持っている』と感じたからです。議員立法を望むって、そーゆー事だろ。と。正直、当事者性を強く打ち出す方々は、訴訟頑張って。と考えています(批判ではない)」に同感です。今の4つの訴訟が全て敗訴して、まだ国会が動かなければ、姉妹の会に次の訴訟を起こしてもらいたい、訴訟が起こされたらそれを支援したいと思ったりします。

・そして、SNSがこれだけ広がって、世界中どこからでもいつでも、「私の思い」を「嫌だ」とか「辛い」とか「めんどい」とかも含めて一つ一つの声として発信し、それを受け止める場があっていろんな声が見えるようになっています。

・そして晩婚化や女性の就業率の増加は言うまでもありません。

こうした社会状況の変化で、今、多様なニーズに対応する選択的夫婦別姓への法改正の議論がこれだけ現実的になっているのだと思います。わたくしてきには24年前法制審答申時点で現実になっててもよかったと思うのですけれどね。

さいごに、これでご質問にお答えできているかどうか分かりません。まだまだ言葉不足や私の認識の間違いや、あると思います。何かありましたらまた、ご質問ください。ツッコミを入れてください。「教えてください」を、我が儘とおっしゃることは不要です(あ、すくなくともわたしにとっては)。「あなたのいうここんところが分かりません、(説明責任はあなたにあります)説明してもらえませんか。」はすごく大事なことだと思っています。

もう一つ、私は選択的夫婦別姓の法制化を求めています。

2次別姓訴訟団(私もその一部ですが)の「二次弁護団の『複数形戦法』」と思いは同じです。「二次訴訟の弁護団が狙う『今回はあえて地理的・法的争点を複数にすることで、一次訴訟とは違う流れを作る』空気」にのって、私もtweetしています。

法制審答申後24年、変わったことは・・・

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選択的夫婦別姓に関する法制審答申(1996年)が出て24年。すぐにでも民法改正があるかと思われたけれど、実現せずに2020年。この間何が変わったんだろう。

必要性の多様化だと思います。

選択的夫婦別姓を求める理由としてよく挙げられるものに、

1,名前はアイデンティティ

2,仕事、研究で名前の同一性が必要

3,家族の名前を絶やしたくない

4,再婚時にこどもの姓を変えたくない

5,婚姻前に社会的基盤ができているので、改姓によってそれらの名義等を全部変更するのがあまりにも大変

などがあります。

ものすごくざっくりした「感想」程度の表現で申し訳ないのですが、法制審答申のあった1996年頃には、男女平等の実現が選択的夫婦別姓を実現すること(つまり理由からすると1と2)の目的の柱のような感じがあったように思います。

その頃以降、働く女性の増加や女性の社会的活動の活発化、離婚の増加、婚姻年齢の上昇、少子化、などに伴って、別姓を求める声は多様化し、特に3,4,5の理由はこれらの変化によってより顕著に増えているように見え、社会システム改正の必要性を高めるものになっています。

5の理由、「改姓は諸々の手続が『めんどい』から名前をそのまま変えずにいたい」、も今や大きな理由の一つかと思います。今の「めんどい」は24年前の「めんどい」とは桁違いに手続にかかる手間暇費用増えてのめんどいです。24年前にはこれはあまり主張されていなかったのではないでしょうか。「めんどい」を避けることを「結婚にあたっての自覚が足りない」とかいう理由で同姓を強制できるでしょうか、といえるところまで来た、という感触は変化を実感する基になります。

他の理由として、

6,国際結婚と比較、海外結婚の海外登録との齟齬を回避する。

一方が日本人の国際結婚では今でも選択的夫婦別姓であって日本人同士と異なる扱いになっています。海外で結婚成立した日本人同士の別姓夫婦が日本の戸籍上夫婦と認められないのはなぜ?など国際結婚や海外で活動する人の増加によって起こる問題もあります。

そうした問題が浮上,増大,言えるようになったことが24年で起こってきている変化だと思います。

法制審答申後24年、法改正が必要な理由が変わったわけではないけれど、上記の社会的状況の著しい変化を背景として、3以下の理由の重みが増し、多様化があったと見えるのです。実際、現在係争中の「別姓訴訟」4種類、それぞれ理由が違います。

選択的夫婦別姓は社会が選択的夫婦別姓を許容するものであるかどうかという寛容性の試金石であって、これ自体は多分以前からずっと変わらないことですが、それによって男女平等を目指すという意味合いだけではなく、他の意味合いが大きくなっていると思います。

年末年始のご挨拶を、選挙区の議員さんに!

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「選択的夫婦別姓を国会で議論してください」という意見書を国会にあげてください、と地方自治体議会に働きかける活動をしている「選択的夫婦別姓 全国陳情アクション」というグループがあります。2018年の結成から全国のメンバーの活発な活動で2019年12月議会までグループの働きかけで35自治体で意見書採択(その他、グループとは関係なく意見書が通っている自治体もあります)。

この意見書を、国会の場で更に意味のあるものにしてもらうために・・・、

意見書可決の地域にお住まいの方、国会議員にお手紙書いてみられませんか。

今年各地で市議会、県議会、区議会、都議会と意見書が可決しました。あなたの選挙区でも選択的夫婦別姓を求める声が高まっています。ぜひ国会で前向きな審議をしてください、とお願いしませんか。

陳情アクションのメンバーに聞くと、対面で説明すると、党首が反対だった自民党議員でも、「困る人いるよね。」「わかるわかる。」など、理解をして賛成してくれる事も多いのだとか。選挙民からこんなことが困りますとか思いを伝えられたら、分かってくださる方もおられるのでは。

お正月休みのお暇(はないかもしれませんが(^_^;)に、お手紙・はがきなど書いてみられませんか。

意見書の通った自治体のうち別姓訴訟@広島応援団関連では、広島市、三原市があります。

あ、意見書の通ったところだけじゃなくても、お願いはできますね。たくさんの「選択的夫婦別姓への民法改正を実現させてください」の声を国会に届けていきませんか。

第2次別姓訴訟 広島地裁判決を受けて

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皆さま

いろいろなメディアでも報道されましたが、2019年11月19日広島地裁の判決言い渡しがあり、訴えは棄却されました。
14条に関しては、別氏を希望する者とそうでない者とを区別しているという訴えに対しては、別氏を希望する者にもそうでない者にも「区別することなく」同じ法律を規定するのだから、別氏を希望するという「人生に関する信念」(信条という表現を避けられた)に着目して区別しているのではない、事実婚の不利益は法律婚をしないからおこっているのであって信条(夫婦別姓を希望すること)によって起こっているのではないと否定しました。
また、職業上の必要性のためなどで通称使用をする人たちが少なからず存在し、世論調査では法改正を認める割合が増加し、家族の姓が違っても家族の一体感に影響がないと思う者の割合は増加し、各地の地方議会で選択的夫婦別姓を求める意見書が採択され、別氏を希望する女性が増加している事がうかがわれるなど、わたしたちの訴える別姓を求める声がいろいろあることを認めたものの、旧姓併記を政府が進めていることなどから旧姓使用についての世の中の理解が進んでいるから、改姓の不利益が拡大しているとまでは認められないと、憲法24上違反との主張は退けられました。
女性差別撤廃条約の規定についても条約がすぐに国内に適用可能(自動執行力を持つ)であるとは言えないのでこれを違反しているということはできないと書かれていました。
残念で、悔しいです。
事実婚の不利益を被りたくなければ法律婚をすりゃあいいと言われても、はいはいと改姓はできません。別姓を希望して結婚したい人は通称使用という別室へお回りください、といわれているのに、どちらにも入り口は用意されているのだから同じだといわれて、そうだそうだおんなじだとは、思えません。私は別室が嫌なのです。
通称は本名ではないことを、過小評価もされています。
東京本庁、立川、と棄却が続き、想定内、といえば言えるような棄却判決でしたが、この、法律が問題→法改正を訴える→国会は動かない→2011年第1次別姓訴訟提訴で司法へ→2015年違憲判決出なかった→国会は動かない→29018年第2次別姓訴訟、と選択的夫婦別姓が国会でも司法でも民法改正へ動く流れができないで謎の迷路をぐるぐる回るなか、さまざまに別姓を求める声の存在を認めながらも結論はざっくりまとめて、同姓強制状態が違憲ではない、といわれたこと、納得はできません。
この日、13時30分の広島での判決のニュースが午後4時頃の東京で都バス内のディスプレイに速報が流れたそうです。それだけ注目を受ける「事件」になっているって事かと思いました。たくさんの人たちが心に留め、口にしてくれることで、時代が動いていくと思います。RBG(米国最高裁で米史上二人目の女性判事のルース・ベーダー・ギンズバーグ判事)が何度も口にしていたように、きっと、時代が変われば法律も変わります。
東京本庁、立川、広島3カ所共に控訴します。高裁へ更にパワーアップして向かいたいと思います。通称使用では不十分である事、反証をあげていきたいとも思っています。
2018年5月の提訴より、応援ありがとうございました。残念でしたが、実は全然めげていません。高裁、そして多分最高裁へと向かいます。続けて応援お願いいたします。
取り急ぎこれまでのお礼と、ご報告まで。

2019年11月13日外国特派員協会で記者会見💦

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裁判続いています。20189年11月18日本日までに、家裁(東京、立川、広島)いずれも却下、東京地裁本庁、立川支部

外国特派員協会で会見をしました。

原告会見原稿です。

☆   ☆   ☆

夫と私は1983年に結婚しました。

その頃は、結婚すると婚姻届を出すのが正しいと思われ、夫婦の98%以上は妻が夫の姓に改姓していました。

私は名前を変えると自分でなくなるように感じ、改姓したくありませんでしたが、

私が改姓しないためには、夫が改姓するか、または婚姻届を出さないかしか方法はありません。自分がしたくないことを夫にさせるのは嫌だったし、夫が改姓するのはとても変わったことに見える気もして夫が改姓する方法はとれませんでした。また、届けを出さず事実婚にする勇気もなく、夫と長い時間話し合いましたが、最終的に私が夫の姓Aに改姓しAいづみとなり婚姻届を出しました。

戸籍上、Aいづみとなると、それが私の本名になります。免許証やパスポート、国家資格の免許証など、自分を証明する書類は全て改姓した戸籍名に書き換えなければなりません。職場では書き換えた資格に基づきAいづみで仕事をすることになりました。

恩地いづみという名前を無くしたくなかったので、使えるところでは通称として恩地いづみのままでいようとしました。

しかし、恩地の名前で届いた荷物を受け取りに行こうにも身分証明書になる免許証はAなので私が恩地いづみであることを証明することができません。保険証もAなので、医療機関に受診するときはAです。出産で入院した折には、お見舞いに来てくれるだろう友人に病院ではAであることをあらかじめいっておかなくてはなりませんでした。初対面の人に自己紹介するときには、当時は一般的でなかった「夫婦別姓」や「通称使用」という語句の説明や通称を使う理由まで説明して、二つの名前を使い分けていることを断っていました。多分、「めんどくさいヤツ」と思われていたと思います。

このように二つの名前を使う生活は大変不便で関係する人たちに手間をかけます。

通称使用の生活にストレスを感じ、疲れてしまい、変わり者とみられてもいい、当たり前でなくてもいいからダブルネームの煩わしさから解放されたいと考えるようになり、1990年にペーパー離婚して自分の名前を取り戻しました。7年かかりました。

その後、夫と私は今まで29年事実婚で過ごしています。

事実婚になると、私はいつでも恩地いづみでいられ、自分を証明するものはあるし、使い分けのストレスもなくなりました。

けれど今度は、公的に結婚を証明するものがありません。事実婚では、保険会社の保険に入るのが難しかったり、クレジットカードの家族カードが作れなかったりしました。

ペーパー離婚後、子どもはどちらか一方が親権者となるので、子どものパスポートを申請したとき、親権者でないものが申請するには書類が足りなくて出直しを余儀なくされたことがありました。同じ家に住んで共同で子育てしている2人なのに一人だけが親権者であるのは不思議だし不便もありました。

もし今、どちらかが病気や事故で意識がなくなったら、と考えると、事実婚の配偶者に医療同意の代行を認めるかどうかには決まりはなく、その医療機関の判断によって、代行が認められない可能性もあります。老人ホームに夫婦同室で入居するには法律婚であることを必要とする施設が多いと聞きます。また、事実婚でどちらかが亡くなると、相続税の配偶者控除もありません。

高齢となる今後、事実婚のためにこうした点で困るのではないかと不安があります。

 

通称は本名ではないし、事実婚は法律婚ではありません。どちらもがなまえを失わずに夫婦となるために、一方が

本名ではない通称を使うか、二人が法律婚をせず事実婚でいるかしか方法がないのはおかしいと思ってきました。

 

1996年に法制審の答申が出たときに、やっと民法が改正されると期待しましたがされませんでした。

国会が動かないなら司法で動かしてほしいと期待した、2011年に始まった第1次別姓訴訟でしたが、2015年に最高裁で同姓強制が合憲とされました。

2018年に第2次別姓訴訟が始まる、という話を聞き、今度こそ勝ってほしいと思いました。裁判を応援したいと考えるうちに、原告団に参加するのも応援になると気づき、原告の一人になろうと名乗りを上げました。

そして広島での原告が誕生し、今広島地裁の判決を待っています。

(英文:少々文が前後します)

I and my husband married in 1983

I felt that if I changed my name, I would not be myself any longer, so I didn’t want to change my surname.

One option to avoid changing my surname was for us as a couple to take my surname, with my husband thus changing his surname, but I didn’t feel right about making my husband change his surname when I myself did not want to do so.  In those days, for about 98.5% of the couples filing marriage registrations the husband’s surname was the couple’s surname, so I recognized that it would be seen as a strange thing for a couple to adopt the wife’s family name.  Another alternative was to refrain from registering our marriage, but at that time, more than today, being legally married was considered the conventional thing to do, so I wasn’t brave enough to have a “de facto marriage.”  I and my husband discussed this at length and in the end we registered our marriage with me changing my surname to that of my husband, “A.”

When the family register reflects that “A,” is the couple’s surname, that name becomes my true name, and all documents that identify myself—licenses, passport, certificates showing national qualifications, etc.—must be re-written to reflect the family register name, the surname to which I had changed.  In the workplace, I had to work as “A,” based on my credentials/qualifications which had been rewritten. Because I didn’t want to give up my name of Izumi Onji, I referred to myself as Izumi Onji, wherever I could use that as a “common name.”

However, when packages arrived for someone name Onji, and were held at the Post Office if I was not at home to receive them, when I did go to pick them up, I could not prove that I was Izumi Onji because the licenses, etc. which would serve for identification were all in my husband’s surname, “A.”  Because my proofs of insurance were also in the name of “A,” whenever I visited a medical facility, I was “A.”  Even when I entered a hospital to give birth, I had to tell ahead of time the friends I expected to visit me, that I at the hospital I was known as “A.”  When I met someone for the first time, I would introduce myself, giving both my family register name and my common name.  I had to explain the terms “couples with different surnames” and “use of a common name,” which were not generally used at that time, and even my reasons for doing so.  I imagine that people perhaps thought, “What a bothersome person.”

This life of using two surnames was every inconvenient, and caused bother to people I came into contact with.

This life of using a common name caused me a lot of stress.  I felt tired and decided that even if I were considered an oddball, and even if it is not conventional, I wanted to free myself from the complications of this “double name” situation, so in 1990 I got a paper divorce and recovered my own surname.

After that, and up to the present, my husband and I have lived for 29 years in a de facto marriage.

In a de facto marriage, I can always be Izumi Onji, I have documents to prove who I am, and the stress of keeping two surnames separated has gone away.

However, now I have no way of proving that I am officially married.  With a de facto marriage, it is difficult to get insurance with an insurance company, and with credit cards, one cannot get a “family card.”

After a paper divorce, one of the parents becomes the holder of parental rights to the children, so that, in applying for a passport for the children, I found that if the parent who is not the holder of parental rights makes the application, the normal documents are insufficient and one is forced to reapply.  I thought it was strange that when a couple lives together and are raising their children jointly, only one of them is the holder of parental rights.

Today, when I realize that if either of us were to become unconscious due to sickness or an accident, because there is no rule about whether the spouse in a de facto marriage is recognized as a surrogate to approve medical treatment, there is a chance that, based on the judgment of the medical institution, the de facto spouse might not be recognized as a surrogate.  In the case of couples entering an old folks’ home and share a room, many such institutions require that the couple be legally married.  Also, if either spouse in a de facto marriage were to die, there is no spousal deduction for inheritance tax.  I feel anxiety that, in the future, as I grow older, there will probably be problems like these because of our de facto marriage.

One’s common name is not one’s true name and a de facto marriage is not a legal marriage.  So I have come to think that it is strange that, in order to become a couple without one spouse giving up their name, the only ways are for one spouse to use a common name that is not their true name or for the couple not to officially marry, but to have a de facto marriage.

In 1996, when the Legislative Council of the Ministry of Justice submitted its report, I expected that finally the Civil Code would be revised, but that did not happen.

In 2015, in regard to the first “Different Surname Law Suit” which had begun in 2011, the Supreme Court determined that making it compulsory for couples to have the same surname is constitutional.

In 2018, when I heard that a second Different Surname Law Suit had begun, I thought that this time we will surely win.  In thinking of ways I could help, it occurred to me that joining the plaintiffs would also be a way of helping, and I volunteered to become a plaintiff.

Then, in Hiroshima this new lawsuit was born, with me as the plaintiff, and now I am awaiting a decision from the Hiroshima District Court.

あした同姓・別姓『選べる』になあれNo.2       そろそろ新しい法律の話をしよう

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2019年10月2日、第2次別姓訴訟、東京地裁の判決言い渡しがありました。

残念ながら棄却、でした。

弁護団長の榊原富士子弁護士によると、判決文はていねいな内容で、「別姓を希望することは『信条』に当たると考えられる。」といっているし(「信条」だけれども「信条による差別」はない、と)、全体として2015年の最高裁判決のコピペの様な書き方であるけれど、2015年の判決に書かれていた子にとっていずれの親とも氏を同じくすることによる利益を享受しやすい・嫡出子であることを示すために子が両親と同氏である仕組みを確保することにも一定の意味・・・、の部分が取り入れられていなかったりと評価できる部分もありました。
しかし、別氏を希望するという信条を持っていると法律婚できないことは信条による差別とは言えないとされたし、2015年から世論の変化があり(別姓容認が増加)、婚姻年齢の上昇と働く女性の増加(職業上の必要性による姓の維持がより求められるようになっている)といった事情の変更があるにも関わらず、通称使用の広がりによって不利益は緩和されていて・・・違憲とはいえない、とのことで、残念ながらの敗訴でした。

でも、原告団はもちろんショックを受けておられた方もいらっしゃいましたが、不思議なことに、結構みんな晴れ晴れと、「思ったよりがっかり感は無かったです。」(他の原告の方の発言)と、いい笑顔で記念写真に収まることができたのですよ。

多分、事情変更を積み重ねていけば、「あした」は勝訴、とみんなが信じているからだと思います。

で、「あした」こんな法律になってほしい、という法案を収めた冊子を作りました。当訴訟弁護団の弁護士さんが、原告たちや支援者のかたたちの意見をまとめてできあがりました。そして、他の別姓訴訟の当事者の方や、いろいろなかたちで選択的夫婦別姓を待ち望んでいるかたたちの声を集めています。別姓訴訟を支える会のHPでPDFでフリーアクセスにもしています。紙媒体で冊子としてお読みになりたいまたはお配りいただいたりしていただけるようでしたら、送料のみでお届けします。冊子ご依頼はお問い合わせフォームよりお願いします。

いっとき私もX(旧姓O)だった

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Xさん、

ご結婚おめでとう!と、お祝いをお伝えしたくて。でも、少しどう言っていいか迷っています。

いただいたお便りにあった「別姓、通しきれませんでした。」という一言。どう解釈したらいいのかはかりかねているのです。

あなたの意にそぐわなかった改姓だったのなら、ただ「ご結婚、おめでとう!」と言わせて。

結婚改姓には、改姓したい・したくない、という本人の思い以外にいろんな思いが重なっています。配偶者となる人、それぞれの両親その他の親類達の思い、その上有形無形の周りの人たちの言葉。そうしたことからくる結婚改姓する・しないについてのイメージ。そんな中で、長いこと事実婚でいたあなたが、考え、思ったであろう「自分の姓、変える?変えない?」に関するいろんなこと。実際には何が改姓のきっかけになったのか知らないけれど、一つの結論を出したあなた。

積極的に望んではいなかったけれどいろいろ考えて結論を出されたのなら、決断したXさんに敬意を表すよ。そして、もし、やっぱり「N」でいたかったな、と思うのなら、そう言って。私はいつでもまたあなたのことを「N」さんと呼ぶよ。

または、私が別姓に拘っていることに対する気遣いで改姓したことを知らせるのをためらってくれたのなら、「Xさん!おめでとう!気遣ってくれてありがとう。」と言わせて。

私は別姓にするけれど、他の人が改姓するのはなんとも思わない。仲間を増やしたいからあなたも別姓にして、とか、あなたも別姓にすべきだとかは思っていないから、安心して。

私が望んでいるのはどんなひとでも強制されず同姓も別姓も選べるようになること。どちらを選ぶことも良いとか悪いとか、正しいとか正しくないとか、進んでいるとか遅れているとか、そんな価値判断なく、生まれ育った姓を使い続けるもよし、これから生きていく伴侶と同じにするために変えるのもよし、どちらも同じように選べるようになって欲しいと考えています。

夫婦別姓の意味って夫婦の数だけあると思うよ。わたしは人のことを別姓にする、しないで区別したりはしない。選択的、という意味を考えて欲しい。同姓がいい人の同姓を排除しているのではないことを何度でも言おう。

だから、安心して。選択的夫婦別姓は、改姓することを決めてXさんになるあなたを、絶賛お祝いするよ!

お幸せに!Xさん、私の周りの何人ものXさん。あのひとや、このひとや、結婚改姓した、そしてそれが「なんだか嫌だったのよ」というひとたちみんなへ。

私も実はいっときX(旧姓O)だった。私の結論は私の結論。あなたの結論はあなたの結論。私は別姓を「踏み絵」にはしない。